ヒロミの後輩の元ヤン木下シェフの泣きメシはお子様ランチ-おじゃマップ

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ヒロミの後輩の元ヤン木下威征シェフの泣きメシとは?

感涙食堂!フジテレビのおじゃマップで泣きメシMAP!!が放送されてました。

木下シェフの泣きメシはお子様ランチ

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「泣きメシおじゃMAP」で、司会のアンタッチャブル・山崎弘也とゲストのヒロミ、MEGUMI、小倉優子がレストランを訪れ、その店の木下シェフにまつわる感動のエピソードを持つ料理、「泣きメシ」を取材してました。

木下シェフの人生を変えた「泣きメシ」はある少女との約束の笑顔のお子様ランチだった。

笑顔のお子様ランチ

木下シェフは高校時代、素行が悪く、母親を泣かせていたということですが、ある日、心を入れ替え、苦労の末に料理学校を首席で卒業しました。

そして、フランスで修業を積み、自分の店を持つまでになった。

しかし、成功を収め、少々“天狗てんぐ”になっていたようです。

木下シェフはフレンチレストランだから、お客さんにお箸やしょうゆを要求されても絶対に出すな!とフレンチレストランである事にプライドを持っていました。

そんな中、レストランに来てくれる、ある家族との出会いで転機を迎える。

その家族は毎週レストランに通うくらいでした。

そして、その家族には重い病気の娘さんがいて、手術のためにアメリカにいくことに。

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彼女は彼に、「手術が成功したらお子様ランチを作って」と、木下シェフは帰国したらお子様ランチを作る事を約束。

※少女はお嬢様のようで、ファミリーレストランに行った事がないから、お子様ランチを食べてみたいという事。

そして、彼女が帰国しました。

しかし、、、

医者に余命宣告をされた少女

もって余命はわずかと医者に宣告されたようです。

「きのやんの料理が食べたい」

そういう彼女の為に、お子様ランチを作ってあげたのです。

そして少女は1週間後に末期ガンのため、亡くなりました。

そんな彼女との約束のお子様ランチが本日の泣きメシでした。

木下威征シェフのプロフィール

1972年生まれ。
辻調理師専門学校を首席で卒業しフランスへ留学。
三ツ星レストランで働き、帰国後は【AUX BACCHANALES】に入店。
5年の修業を経て、パートナーと【モレスク】を開店。
2008年【オー・ギャマン・ド・トキオ】を開店。

現在は5店舗のオーナー。

情に厚く温かい人柄が多くの人の心を掴み、お客からは「きのやん」、全国に点在する門下生からは「おやじ」の愛称で慕われている。

まとめ

人生の中に転機ってあると思いますが、その転機が訪れる時のきっかけって、「人との出会い」が一番多いですよね。

木下シェフもそうですが、人との出会いを大切にしているからこそ、成功を収めているんですね。

何がきっかけで人生が変わるか分かりません。

色々な出会いに感謝し、出会いを大切にしていきましょう(^^)

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